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見方の転換!「家族論」 どんなに悲しいことだって、受け入れなければならない時もあるのかも。若いなりに考える。

生き方

こんにちは!

11月に入りましたね。季節の変わり目です。体調の変化に注意してくださいね。

 

ぼくは、カナダはトロントの語学学校で今日も相変わらず英語を学んできました。

まだまだ英語初心者の身分ですが、今日は「結婚」について話す機会があり(もちろんハロウィンも 笑)、様々な国の友達と理想の将来像なんかを語ってきました。

「いつまでに結婚したい」「子供は~人ほしい」など、みんなそれぞれいろんな理想があるみたいですね! すごいなぁ~^_^

 

ぼくは今のところ、それほど結婚に重きを置いていないので、

「40代ぐらいで結婚できればいいかなー」

なんて簡単に答えてました。 ←できるかさえわからんけど(笑)

 

そんなこんなで、今日は僕が思う

家族論

について書いてみたいと思います!

おおげさに書いてすみません(笑)

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結婚は「家族をもつ」ということですね。結婚して、子供をつくれば必然に「」となります。

避けたくても、親になれば責任ある立場に立たざるをえなくなりますね。

ぼくも子供ながらに、これは人生において最も重い役目であると思います。かつ、子供から見れば最も頼りになってくれる人です。

 

そうであるがゆえに、親の死は子供にとって最も悲しいものなのかもしれません。今までの道標がなくなってしまうんですから。

僕の親はありがたいことに現在もすこぶる健在ですが、このまま、

「いつまでもいてくれたら」

と、常日頃から願っています。

子供なら誰しもそう思いますよね。

 

しかし、人間とは儚いもので、いつか必ずその時は来ます。

 

残念ながら、人には「死」というものが、いつかは必ず来てしまうのです。その原因が老衰であろうと、事故であろうと最期には必ず訪れるものです。

 

親を失うことは、その子供にとっては悲しみのほうがはるかに大きいと思いますが、ぼくは最近、本当にただそれだけなのだろうかと考えることがたびたびあります。それだけでは必ずしもないのではないかと。

 

ぼくは最近、考え方を換えて、

「親の死は、人の人生には必要な経験でもある

と考えるようになりました。

 

親がいなくなることで、改めて実感することもあり、加えて新たな発見もあるのではと。

 

親は、我が子のためなら何も惜しまないでしょう。

究極に言えば、

親はその死をもってしてさえも、子に経験を積ませてやることができ、かつ親として、子に経験させなければならない使命もある

と。

言い換えれば、

親の最期の仕事とは、自らの子に自分の死をみせることにあるのではないか

と、最近このような見方にたどり着きました。

 

親とは子にとっての永遠の明かりであって、先駆者でもあります。

それがなくなることで、今度は自分で道を作り、後世の道標にならなければなりません。そこで初めて、人はその道づくりの難しさを知る。

それが、親が命を懸けてまで、親の最後の役割として、私たちに教えてくれることなのかもしれません。

姿は消えても、愛情だけは消えないのかもしれませんね。

 

こんな風に、どうせその時が来るなら、失うことだけを思い詰めてないで、人生少しぐらいポジティブに考えていきたいですよね!

 

それまでに、日ごろからの感謝だけは伝えていきたいと、心からそう思います。

 

はずかしいけどね(笑)